オーストリア

オーストリアはハプスブルク家が統治する国で、ドイツ諸侯を代表する神聖ローマ帝国皇帝の地位を保持してきた。首都ウィーンは音楽の都として名高く、陸軍はヨーロッパ最強といわれた時代もあった。
多民族国家だったために第一次世界大戦で帝国は解体され、現在は領土を大幅に縮小して永世中立国として存在している。
シヴィライゼーションVで登場。芸術関係の特性が強く、文化が発達しやすい。隣国ドイツの存在感が強いせいか、あまり多くの作品には登場していない。
オーストリアの登場作品
文明 | 初代 | II | III | IV | V | VI | 備考 |
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オーストリア | - | - | - | - | ○ | - | - |
オーストリアの指導者
指導者 | 初代 | II | III | IV | V | VI | 年代 |
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マリア・テレジア | - | ○ | - | - | ○ | 1717~1780年 |
実はシヴィライゼーションIIでドイツの女性指導者として、マリア・テレジアが登場している。オーストリア帝国は多民族国家だったが、首都ウィーン周辺はドイツ系住民なので、このようにドイツと同じように扱われることもある。
オーストリアの文明特性
シリーズ | 文明特性 | 解説 |
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V | 政略結婚 | ハプスブルク家は政略結婚によって勢力を拡大し、最盛期にはオーストリア帝国、スペイン王国、ナポリ王国、ネーデルラント(オランダとベルギー)、シチリア王国などを支配した。 |
オーストリアが好む宗教
- カトリック
- 三十年戦争はカトリックとプロテスタントによる宗教戦争だった。この戦争でハプスブルク家が皇帝を務めていた神聖ローマ帝国の力は大きく衰え、オーストリアの影響力も低下した。
オーストリアの都市
順番 | III | IV | V |
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1 | ヴィエナ | - | ウィーン |
2 | ザルツブルク | - | ザルツブルク |
3 | インスブルック | - | グラーツ |
4 | グラーツ | - | リンツ |
5 | クレムス | - | クラーゲンフルト |
6 | ランデック | - | ブレゲンツ |
7 | リエンツ | - | インスブルック |
8 | クーフシュタイン | - | キッツビューエル |
9 | ビショフスホーフェン | - | ザンクト・ペルテン |
10 | アイゼンエルツ | - | アイゼンシュタット |
11 | ブリュック | - | フィラッハ |
12 | グミュント | - | ツウェットル |
13 | フィラッハ | - | トラウン |
14 | クラーゲンフルト | - | ウェルス |
15 | ヴァイツ | - | ドルンビルン |
16 | ヴィーナー・ノイシュタット | - | フェルトキルヒ |
17 | アイゼンシュタット | - | アムシュテッテン |
18 | ブジェツラフ | - | バート・イシュル |
19 | フェルトキルヒ | - | ウォルフスベルク |
20 | ランデック | - | クーフシュタイン |
- ウィーン
- オーストリア帝国の首都。ローマ時代はウィンドボナと呼ばれた。ローマ時代はウィンドボナと呼ばれた。ハプスブルク家の支配下で発展し、神聖ローマ帝国の帝都として栄えた。モーツァルトやベートーヴェンが活躍した都市でもあり、音楽の都としても有名。
- ザルツブルク
- ドイツとの国境に近い古都。古代にはケルト人が文明を築いていた。大司教領となりキリスト教の拠点となった。ナポレオン戦争でバイエルン王国、次いでオーストリアに編入された。モーツァルト生誕の地。
- グラーツ
- オーストリア第二の都市。古代ローマ帝国の砦を起原とする。砦を意味する「グラデツ」から都市の名前がついた。1586年にグラーツ大学が創設され、学術・芸術の中心地。
- リンツ
- ウィーンとミュンヘンの中間に位置する、オーストリア第三の都市。古代ローマ帝国に起原を持つ。15世紀に神聖ローマ帝国の居城が置かれ、学問・芸術の中心となった。