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武則天(則天武后) 623年~705年

武則天

 日本では則天武后と呼ばれることが多い。本来の名前は武照という。中国史上、唯一の女帝。武周王朝の創始者。

 唐の三代皇帝・高宗に気に入られ、王皇后と皇帝側室の簫淑妃(しょうしゅくひ)の対立を利用して皇后の座を奪い取る。このとき武則天は自らの子を殺害し、その罪を王皇后に着せて処刑したとされる。

 皇后となった武則天は実権を握り、密告を奨励し恐怖政治を行った。多くの皇族や重臣を粛正し、代わりに身分の低い者を登用した。やがて皇帝の高宗が死ぬと子の中宗を皇帝とするが、中宗は武則天に対抗しようとしたため廃位。代わりに弟の睿宗(えいそう)を皇帝として完全に権力を握った。

 武則天の専横に対して、各地で皇族が挙兵。武則天はこれを平定すると、自ら帝位に就き、王朝の名前を唐から「周」に変えた(古代の「周」と区別するため「武周」と呼ばれる)。

 こうして基盤を固めた武則天は、優秀な人物を抜擢した。特に名宰相と呼ばれる狄仁傑(てきじんけつ)を重用し、安定した時代を築き上げた。武則天は仏教に傾倒していたが、狄仁傑をよく信頼し、その言葉によく従った。この期間、農民の反乱が起きることはなかった。

 武則天が死ぬと王朝の名前は唐へと戻されたが、武則天の時代に登用された人たちによって、唐は絶頂期を迎えることとなる。

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