世界史Civ事典

マゼランの世界周航

マゼラン
フェルナンド・マゼラン

 1522年9月、世界周航の偉業が達成された。1519年9月20日にマゼランの艦隊は270名、5隻で航海へと旅立った。それから3年後、艦隊は1隻に減って帰還した。生きて帰り着いたのは、わずか18名だった。

世界周航まで

 マゼランはポルトガルの下級貴族出身で、海戦に参加して功績を挙げ、キャラベル船の船長になった。ポルトガル王室の確執によってスペインに渡った。スペインのカルロス1世はマゼランに艦隊を委ね、航路の開拓を命じた。

 マゼランはポルトガルの妨害や、船内のスペイン人との主導権争いに苦慮しながらも、12月にリオデジャネイロに到着する。しかし南米南端のパタゴニアで5ヶ月間足止めされ、ここで反乱が勃発した。マゼランは反乱を鎮圧して、首謀者を処刑または追放。1520年8月に航海を再開した。

 太平洋に抜けるマゼラン海峡を発見するも、通過するまでに2隻を失った。マゼランは大陸沿いに北上し、北西に針路を取った。穏やかな海を「マール・パシフィコ(平和な海)」と名付けた。

 その後、陸地を発見できずに100日以上が経過し、深刻な食糧不足に陥った。船内はビタミンC欠乏による壊血病が蔓延した。

 1521年3月6日、艦隊はグアム島に到着した。しかし島民に取り囲まれ、夜に船内の備品を盗まれた。怒ったマゼランは翌日に上陸し、島民7名を殺害してこの島々を「泥棒諸島」と呼んだ。3月16日、フィリピン諸島に到着。ここでは意思疎通が可能で、友好的に滞在することができた。

 4月7日、セブ島に到着。首長と親しくなり、ここを拠点に周辺の島々にキリスト教を布教した。4月27日、マゼランは60名の部下を連れてマクタン島に上陸。コルテスのアステカ征服を引き合いに無謀な攻撃を行って命を落とした。さらにセブ島の首長が反旗を翻し、生き残った船員たちは急いでセブ島を後にする。このとき1隻を失った。

 1521年11月、艦隊はインドネシアのモルッカ諸島に到着し、島民から香辛料を大量に買い取った。しかし積載過多でトリニダード号が浸水したため、小型のヴィクトリア号に47名が乗船して出港した。

 ヴィクトリア号はインド洋と南大西洋を無寄港で航海した。ポルトガルに拿捕されるのを警戒してのことである。この間も栄養失調と壊血病に苦しんだ。1522年9月、ヴィクトリア号はスペインに帰還する。

 一方、トリニダード号と乗員51名は船を修理してメキシコを目指したが、ポルトガルに拿捕された。

スペインの遺産

関連記事