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ローマとビザンチンの歴史

1265年のビザンチン帝国
1265年のビザンチン帝国

ローマ帝国の歴史

 ローマ帝国は地中海全域を支配した古代の大帝国。

 都市国家ローマは強力な重装歩兵によってイタリアの各都市を支配、市民権を与えて領土を拡大していった。宿敵のカルタゴを滅ぼすと地中海の強国となった。ギリシアの援軍要請をきっかけに東地中海にも進出し、支配下に置いた。カエサルの後を継いだアウグストゥスが初代ローマ皇帝となった。

 皇帝はローマ市民の代表者であり、世襲制ではなく権力もさほど大きくはなかった。歴代の皇帝は防衛線を定めて通貨制度を整備し、広大な帝国を支配した。安定した治世はパクス・ロマーナ(ローマの平和)と呼ばれる。

 ローマは自由民と奴隷、そしてローマ市民と外国人に身分が別れていた。社会は多数を占める奴隷によって成り立っていた。後に帝国内の自由民である外国人全員にローマ市民権が与えられた。帝国内の各都市は中心に円形闘技場を建設して、市民は剣闘士の試合や猛獣狩りを楽しんだ。

 やがて帝国の経済の中心は東部に移り、ローマからビザンチウムへと遷都した。また、この頃からゲルマン人による侵入を受けるようになる。

 広大な領土を持つローマ帝国は、ゲルマン民族の侵入を受けてその領土の維持が難しくなっていた。そこで領土を東西に分けて、分割統治することになった。

ビザンチウム遷都

 330年、コンスタンティヌス1世はローマ帝国の首都をローマからビザンチウムに移し、新しい都をコンスタンティノープルと名付けた。すでにローマ帝国の中心は東側に移っていた。特に穀倉地帯のエジプトは帝国の東に位置していたため、この地域の防衛は重要課題だった。

 遷都に伴い、イタリア半島やガリアに住んでいた貴族や軍人もコンスタンティノープルに移り住んだ。こうして有力者のいなくなった西ローマは弱体化が進み、やがて滅亡することになった。

ビザンチン帝国

 コンスタンティノープルに遷都したローマ帝国はギリシアや東方の文化を取り入れ、以前のローマ帝国とは異なる文化を形成するようになった。

 そのため、世界史ではコンスタンティノープルに遷都してからのローマ帝国は以前のローマ帝国とは区別して、「東ローマ帝国」とか「ビザンチン帝国」、あるいは「中世ローマ帝国」と呼ぶ。ちなみに「神聖ローマ帝国」とは別の国なので注意。

 ビザンチン帝国はユスティニアヌス1世の時代に領土が最大となった。一時的にローマ市を含むイタリア半島を回復したが、東の大国サーサーン朝ペルシアと争って国力を消耗し、やがてアラブ帝国にエジプトを奪われた。

コンスタンティノープルの陥落

 ビザンチン帝国はセルジューク朝の脅威を受けるようになり、同じキリスト教であるローマ教皇や西欧諸国に救援を依頼した。

 こうして十字軍が結成されたが、第4回十字軍はあろうことかコンスタンティノープルを襲撃し、占領してしまった。

 ニケーアに臨時政府が立てられ、ニケーア帝国はコンスタンティノープルの奪還に成功したものの、もはやビザンチン帝国の衰退は明らかだった。

 ビザンチン帝国はわずかにコンスタンティノープル周辺のみ領有して存続していたが、新たに登場したオスマン帝国に滅ぼされ、ローマ分裂以降1000年に及ぶ歴史に幕を閉じた。