世界史Civ事典

エリザベス女王と海賊ドレーク

ゴールデン・ハインド号
ドレーク船団の旗艦ゴールデン・ハインド号(レプリカ)

 フランシス・ドレークは16世紀にイギリスで活躍した海賊です。

 マゼランに次いで世界で二番目に世界周航を達成し、スペイン船を襲撃してイギリスに莫大な富をもたらしました。その功績によってエリザベス1世からナイトの称号を与えられ、さらにはイギリス海軍を指揮して、スペインの無敵艦隊を撃ち破りました。

ドレークの世界周航

 世界初の世界周航を達成したのはマゼランですが、マゼラン自身は途中で死亡しており、実際に世界を一周できたのは部下たちでした。これに対してドレークは、無事に世界周航を終えています。

 当時の遠洋航海は非常に危険なものでした。船は木造の帆船で速度が遅く、故障は日常茶飯事でした。また、ビタミンC欠乏により起こる「壊血病」や伝染病によって命を落とす船員が後を絶ちませんでした。

 飲料水はすぐに腐ってしまうのでワインが重宝されていました。

 ドレーク船団はスペイン船を襲って金や銀を奪い、ポルトガル船からはワインを略奪していました。ドレークはカリブ海を中心に活動していました。

 ドレークは1577年から1580年にかけて、世界一周を達成しました。ドレーク船団はポルトガル船を襲撃し、経験豊富な船員とワインを得て、ポトシ銀山の銀を積んだスペイン船を襲撃するため、アメリカ大陸へ向かいました。

 アメリカ大陸南端のマゼラン海峡を通過し、太平洋側から銀を略奪して北上しました。その後太平洋を横断し、インド洋で銀を売却してスパイスを購入し、アフリカ南端の喜望峰を経てイギリスに帰国しました。

 ドレークの海賊船団を支援していた最大のスポンサーは、エリザベス女王でした。エリザベス女王は海賊に多くの資金を投資し、その略奪品から多くの利益を得ていました。

 エリザベス女王は海賊に関与している証拠が残らないよう、細心の注意を払っていました。スペインやポルトガルからの抗議に対しても、決して関与を認めることはなく、表向きは友好関係を保っていました。

 ドレークがイギリスにもたらした富は、イギリス王室の年間予算の三年分にもなったとされています。エリザベス女王はこの利益で王室の借金を返済し、貿易会社を設立することで収益の確立を進めていったのでした。

英雄ドレーク

 世界周航を達成したドレークは国民的英雄になりました。エリザベス女王からナイトの称号を与えられ、プリマスの市長に就任しました。

 その後もエリザベス女王はドレークにスペイン襲撃を命じ、スペインはドレーク船団の動きに細心の注意を払いました。

 1588年、スペイン王フェリペ2世はイギリスに無敵艦隊を派遣しました。エリザベス女王は海軍総司令官にハワードを、副司令官にドレークやホーキンズを任命してこれに当たらせました。

 戦争は15年続き、無敵艦隊は合計5回派遣されたものの、いずれも失敗に終わりました。この間、イギリスの海賊たちはエリザベス女王の命令でスペイン船を襲い続けました。

 海賊船は女王の許可を得た「私掠船」となり、海賊ドレークは「海洋冒険家」として歴史に名を残すことになったのです。