世界史Civ事典

ローマの分裂とビザンチン

1265年のビザンチン帝国
1265年のビザンチン帝国

 広大な領土を持つに至ったローマ帝国は、ゲルマン民族の侵入を受けてその領土の維持が難しくなっていた。そこで領土を東西に分けて、分割統治することになった。

ビザンチウム遷都

 330年、コンスタンティヌス1世はローマ帝国の首都をローマからビザンチウムに移し、新しい都をコンスタンティノープルと名付けた。すでにローマ帝国の中心は東側に移っていた。特に穀倉地帯のエジプトは帝国の東に位置していたため、この地域の防衛は重要課題だった。

 遷都に伴い、イタリア半島やガリアに住んでいた貴族や軍人もコンスタンティノープルに移り住んだ。こうして有力者のいなくなった西ローマは弱体化が進み、やがて滅亡することになった。

ビザンチン帝国

 コンスタンティノープルに遷都したローマ帝国はギリシアや東方の文化を取り入れ、以前のローマ帝国とは異なる文化を形成するようになった。

 そのため、世界史ではコンスタンティノープルに遷都してからのローマ帝国は以前のローマ帝国とは区別して、「東ローマ帝国」とか「ビザンチン帝国」、あるいは「中世ローマ帝国」と呼ぶ。ちなみに「神聖ローマ帝国」とは別の国なので注意。

 ビザンチン帝国はユスティニアヌス1世の時代に領土が最大となった。一時的にローマ市を含むイタリア半島を回復したが、東の大国サーサーン朝ペルシアと争って国力を消耗し、やがてアラブ帝国にエジプトを奪われた。

コンスタンティノープルの陥落

 ビザンチン帝国はセルジューク朝の脅威を受けるようになり、同じキリスト教であるローマ教皇や西欧諸国に救援を依頼した。

 こうして十字軍が結成されたが、第4回十字軍はあろうことかコンスタンティノープルを襲撃し、占領してしまった。

 ニケーアに臨時政府が立てられ、ニケーア帝国はコンスタンティノープルの奪還に成功したものの、もはやビザンチン帝国の衰退は明らかだった。

 ビザンチン帝国はわずかにコンスタンティノープル周辺のみ領有して存続していたが、新たに登場したオスマン帝国に滅ぼされ、ローマ分裂以降1000年に及ぶ歴史に幕を閉じた。