世界史Civ事典

オスマン帝国の繁栄と滅亡

 オスマンはトルコ系の遊牧民だったとされる。新天地を求めて小アジアへ移動し、バルカン半島のエディルネ(アドリアノープル)を占領して本拠地にした。やがてコンスタンティノープルを占領してビザンチン帝国を滅ぼし、都市を整備してイスタンブールに改称し首都とした。

栄光のオスマン帝国

 最強の軍団といわれたイェニチェリを率いて領土を拡張し、シリアやエジプトを占領。スレイマン1世の時代に帝国の領土は最大となり、ウィーンを包囲した。オスマン帝国は宗教に寛容で、東方正教会はイスタンブールに残り、西洋で迫害されたユダヤ人を受け入れた。オスマン帝国はイスラム圏の盟主となり、首都イスタンブールは世界最大の都市として繁栄した。

 やがてオスマン帝国はふたたびウィーンを包囲するが敗北し、ハンガリーやギリシア南部を割譲。さらにロシアの攻撃を受けて黒海北岸を失った。さらにナポレオンの攻撃を受けてエジプトを失い、国内の近代化も進まず、「欧州の瀕死の病人」といわれるようになった。

オスマン帝国の滅亡

 ロシアとのクリミア戦争にはイギリス・フランスの援護で勝利を収めたものの、ふたたびロシアと争いルーマニアとブルガリアを失った。国内では独立運動が巻き起こり、バルカン半島の大部分を失った。当時のバルカン半島は「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれた。

 第一次世界大戦ではドイツ・オーストリア側に立って参戦したものの敗北。トルコ共和国が誕生し、オスマン帝国は滅亡した。