世界史Civ事典

カルタゴの歴史と文化

 カルタゴを建国したフェニキア人は、現在のシリアやレバノン、イスラエルの地域で商業活動を行っていました。主な都市はシドンとティルス。レバノンの杉を使って船を作り、地中海西部に進出して現地の貴族階級を相手に貿易をするようになります。

 この際に海岸沿いに多くの植民市が建設されました。そのうちのひとつがカルタゴです。伝承ではカルタゴを建国したのはティルスの王女ディドでした。シドンやティルスはアッシリア帝国に圧迫され弱体化し、代わってカルタゴが地中海貿易の覇権を握るようになりました。

 カルタゴの政治は元老院や貴族によって行われていたと考えられていますが、記録はほとんど残っていません。アリストテレスは、カルタゴの国政は理想に近いと述べています。

ローマとの争い

 カルタゴは貿易で得た資金で傭兵を雇っており、軍事的に傭兵に依存していました。ギリシアペルシア帝国が対立するようになると、ティルスやシドンはペルシアに従い、カルタゴもシチリア島のギリシア勢力と戦っています。

 ローマが台頭するとシチリア島を巡って争い、第1次ポエニ戦争でシチリア、サルデーニャ、コルシカを失います。カルタゴは新たな海外拠点を求めてイベリア半島に進出しますが、第2次ポエニ戦争が勃発します。ハンニバルがイタリア半島に侵入してローマ軍を破り勝利を収めたものの、ザマの戦いで敗れました。

 講和したものの、カルタゴの復興を恐れたローマは難癖をつけて再び攻め込み、カルタゴの街を徹底的に破壊しました。住民は全員が殺されるか奴隷となり、廃墟には草木も育たぬように塩がまかれました。

 現在、チュニス近郊にカルタゴの遺跡が残っていますが、これはローマ帝国時代に再建された街です。ローマはカルタゴの地に同名の都市を建設し、ローマ内でも屈指の大都市となったのでした。